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【金谷から韮山へ、講演旅行】 
はやし浩司 2012−01−14



●金谷へ

 7時26分発の、興津行きに乗る。
気温は3〜4度。
寒い。

 午前中は、金谷(かなや)で講演。
教職員組合榛原支部。
それが終わったら、午後は、韮山(にらやま)へ。
同じく教職員組合田方支部。
そこで講演。
そのあと沼津の宿で一泊。
「はまゆう会館」。

●歯車

 日本人から(たくましさ)が消えて、久しい。
一億、総草食系。
豆腐系。
みな、それぞれが機械の歯車のようになり、ゆっくり、ゆっくり、回っている。

 はみ出たことができない。
はみ出ることもない。
はみ出た人を、異端視する。
叩く。
ただひたすら、ゆっくり、ゆっくり、回っている。
電車の中を見渡したとき、ふと、そう思った。

●電車の中

 淡い橙色の朝日が、斜め左前から窓を通して、顔に当たる。
当たるたびに、窓ガラス全体が白くなり、外の景色がさえぎられる。

 左の少し離れたところに、中学生らしい一群が、陣取っている。
どこかへ対抗試合に行くところらしい。
みな、白いスポーツ・バッグをもっている。
「NIKE」と書いてある。
華やいだ笑い声が、うらやましい。

 目の前の座席には、4人の男たちが座っている。
うち3人は目を閉じ、下を向いている。
1人は、大きないびきをかいて、眠っている。
30歳くらいの男は、携帯電話に読みふけっている。
どこでも見られる、早朝の出勤風景。

●眠い

 昨夜、床に入る前に、睡眠導入剤をのんだ。
朝までぐっすりと眠ったはず。
が、眠ったときほど、眠気があとに尾を引く。
今が、そのとき。
軽い眠気が、脳内に充満する。

 「こんな頭で、講演ができるだろうか……?」と。
少し心配になってきた。
いや、その心配もあったから、起きるとすぐ、10分間。
出かける前に、10分間、計20分間、ウォーキングマシンの上で、軽い汗をかいた。

●電車の中
 
 今、客の数を数えてみた。
全員で、30人。
うち学生らしき人たちは、11人。
新聞を読んでいる人は、隣のワイフと、もう1人、最後尾に座っている男性1人。
2人だけ。
携帯電話(端末)を手にしている人は、6人。
 
 ……電車は、たった今、掛川駅に着いた。
ゾロゾロと客が降りた。
つづいてほぼ同じ数の客が、乗り込んできた。
目の前に座った男は、スキー靴を履いている。
歩くたびに、床をガツン、ガツンと叩くような音がする。
太った、大柄な男。
35歳くらい。
態度も大きい。
片足を通路のほうへ、大きく投げ出して座った。

 ああ、眠い……。

 金谷まで、あと10分?
しばらく休憩。




●Oさん

 金谷での講演で、県の教育委員会のOさんに会った。
Oさんは、あいさつだけで、金谷の会場を去った。

そのOさんと、再び静岡駅で出会った。
私たちはそのまま、いっしょに、韮山へ向かった。

●講演



 韮山での講演は、無事、終わった。
韮山から、長岡に一度出て、そこからバスで、宿泊先の「はまゆう会館」に向かう予定だった。

 が、主催者の方が、「送ります」と。
私たち夫婦は、その言葉に甘えることにした。



●KKR沼津、はまゆう



 5時ごろ、「はまゆう」に着いた。
正式の名前は、「KKR沼津、はまゆう」という。
知っている人は、知っているのだろう。
しかし「KKR」というのは、何?※。

ホテルのネーミングとしては、まことにまずい。
こういう意味のわからない略字を見ると、ふつうの人なら、それだけで拒絶反応を起こす。
「コレハ(=K)、コレハ(=K)、良(=R)」の意味か。
どこかの「組合会館」とは聞いていた。

 が、来てみてびっくり。
造りも立派な、一流ホテル。
豪華。
私は名前から、小さな民宿風の旅館を想像していた。

(注※……KKRというのは、国家公務員(=K)、共済(=K)、連合会(=R)の意味だそうだ。
道理で、超豪華!
当初は国家公務員の保養施設として建設されたが、客が少ないので、一般客にも開放されているとのこと。)

●午後11時

 で、今、時刻は11時!

 いつも暇さえあれば、何かを書いている私だが、今日は、何も書けなかった。

 先にも書いたが、韮山で講演をしたあと、車で送られて、ここ沼津まで。
が、ここで私の元気が底をついた。
温泉から出たあと、30分ほど仮眠。
そのあと食事。
再び、仮眠。

 先ほど起きて、午後11時。

さすが1日、2回の公演は、疲れる。
時間にすれば、計4時間近く立ったまま話したことになる。
若いころは、平気だったが……。

●潮騒

 窓の外からは、潮騒の音が、直接聞こえてくる。
「直接」というのは、「間近に」という意味。
眼下に細い道があり、その向こうは、海岸。

 その音を聞いていたとき、あのビーチハウスを思い出した。
オーストラリアの友人のビーチハウスである。
私はそのビーチハウスに、若いころ、3か月間、世話になった。
毎朝、その潮騒を聞きながら、過ごした。

 古き、よき時代。
私は、そのころ、もっとも幸福だった。
1日を1年のように、長く感じた。

●「福島産の米」

 「はまゆう」のフロントに、張り紙がしてあった。
こう書いてあった。
「このホテルでは、福島産の米を使用しています」と。

 福島産の米?

 温泉で知りあった男性と、それが話題になった。
その男性は、川崎(神奈川県)から来ていた。
「私はいいですが、子どもには食べさせられません」と。

 あとで食堂で見ると、その男性は妻と子ども(10歳くらい)を連れてきていた。

 が、どうしてそんな張り紙をしているのだろう。
ふつうなら、そんな張り紙をしない。
それともホテル側の、精一杯の誠意なのだろうか。
だからフロントで、私はこう聞いた。

「魚類はどうですか?」と。
するとフロントの男性は、こう言った。
「ほかのものは、このあたり(=沼津)のものです」と。

●三島ざくら(三島・兎月園)

 韮山での講演のみやげに、「三島ざくら」と「パイ」をもらった。
製造元は、「三島・兎月園(とげつえん)」とある。
さすが……というか、地元の人は、味をよく知っている。
先ほど、箱をあけ、それぞれ何個かずつ、食べてみた。

 おいしい!

 と、同時に、先日ある中国展の会場で買った、北京のみやげを思い出した。
クルミを飴でくるんだ菓子だった。
が、断言する。
あれば「クルミ」ではない。
ただの「落花生」。

 それに飴が粗悪品。
食べると、しつこく、歯にそれがくっついた。
直後、歯をみがいたが、それでも取れなかった。
しかも、だ。
ここからだ実に中国らしい。
上げ底もよいところ。

●上げ底

1・5センチ四方の菓子が、10個ずつ、まず化粧箱に入っていた。
その箱を、3箱、大きな化粧箱に入れてあった。
上げ底は当然としても、周辺を内へ大きく折り曲げた化粧箱。
実際の菓子の6〜8倍に、(あるいは10倍以上に)、中身を大きく見せていた。

 が、箱だけは、立派。
赤地に金文字。
金文字は、浮き出ている。
菓子箱の底にも、金紙が張ってあった。

 それを思い出しながら、私はワイフにこう言った。
「中国も、こういう菓子(=兎月園の菓子)を見習うべき」と。

 10年前と比べると、それでもよくなった(?)。
そうそう書き忘れたが、中国のその菓子は、どこか油臭かった。
歯で割ると、プンと油の臭いがした。

 そのあとその菓子をどうしたか?
みなさんの想像に任せる。
 
●沼津の御用邸

 このホテルの近くに、御用邸があるという。
歩いて15分ほどの郷里という。
観光施設として、見学+観光できるという。
案内書を読みながら、ワイフがそう言った。

 沼津行の送迎バスは、10時に出るという。
御用邸は午前9時、会館。
「行ってみるか?」と声をかけると、ワイフが「うん」と。

 どんなところか。
御用邸だぞ!
楽しみ。

●沼津魚市場食堂

 ホテルの案内書に、沼津魚市場食堂が紹介されていた。
その中に、先日行った、「丸天」が載っていた。

 私とワイフは、そこでびっくりするほど量が多く、おいしい魚料理を食べた。
「どれ……?」と言って、その案内書を見た。
その瞬間、あのときの料理が、脳の中にはっきりとした映像となって現れた。

丸天の魚料理は、今まで食べた魚料理の中でも、最高!
「また行こうね」「うん、また行こう」と。
 
 沼津と言えば、魚。
魚料理。
魚料理といえば、丸天。

●「はまゆう」

 部屋は畳で、10畳。
内風呂も大きく、清潔。
国家公務員専用の宿泊施設ということだが、私たちのような一般客も泊まることができる。

 部屋、料理ともに、ほぼ満足。
今日は土曜日ということで、もう少し混雑しているかなと思ったが、客は全部で、20人ほど。
「(3・11大震災以来)、海のそばの旅館やホテルは、敬遠されている」とのこと。
先月、沼津へ来たとき、タクシーの運転手が、そう言っていた。

 が、このホテルは、立派。
部屋数は少ないが、部屋も広い。
見るからに、それがよくわかる。
また現在、私たちが泊まっている部屋は、3階。
先ほどもワイフがこう言った。
「ここまでは、津波は来ないわ」と。

 3・11大震災以来、どこへ行っても、すぐそういう話になる。
大きなトラウマができてしまった。

●睡眠時間

 しかしさすがに、今日は疲れた。
起きたのが午前4時。
一仕事終え、家を出たのが、6時45分。
電車に乗ったのが、午前7時29分。
以後、2つの講演をこなした。

 朝食は、フルーツを少し。
昼食は抜いた。

 今月は、あと2つ講演がある。
で、来月、2月。

 東京で講演をしたあと、翌日、金沢での同期会がある。
その前日は、東京での講演。
いろいろ考えてみたが、体力的に無理。
今、そういう結論になりつつある。

 問題は距離ではなく、睡眠。
どう睡眠時間を、うまく調整するか。
ホテルや旅館では、どうもうまく眠れない。
友人は、「羽田から小松まで飛行機で来ればいい」と言う。
しかし私は大の飛行機嫌い。

 「同期会は、やっぱり断るよ」と私。
「そのほうがいいわね」とワイフ。

 無理ができない体になってしまった。

 それにしても、疲れた。
こうしてパソコンを叩いていても、時折、意識がかすんでいく。

●雑談

 ワイフとの雑談がつづく。
ワイフは部屋にあった木製のパズルで遊びながら、ペチャペチャ……と。

 ワイフは、人前では静かな女性。
見た目にも、そうだ。
しかし私と2人だけになると、よくしゃべる。
ときには、床に入ってからも、1時間ほど、しゃべりつづけることがある。
そんなことから、結婚して40年になるが、いまだによくわからない。

 私のワイフは、おしゃべりなのか、そうでないのか、と。

 ……たった今、木製パズルで、目的とする形ができたらしい。
「できた! Tの字!」と。

●スポーツカー

 こんなことがあった。

 1年ほど前、ある知人宅に、新年のあいさつに向かった。
そのとき庭先を見ると、中古だったが、M社のスポーツカーが置いてあった。
私のような門外漢でも、それがどういうスポーツカーであるか、すぐわかった。
「すごい車ですね」と声をかけると、その知人は、その車について、あれこれと説明してくれた。
得意げだった。

 で、それから1年。
つい先日のこと。
別の知人を訪ねると、同じようなスポーツカーが、駐車場に並べてあるのを知った。
その知人は、市内で中古車販売をしている。

 「どこかで見たような車だな……」と思いつつ、「この車と同じのを、見たことがあります」と言うと、その知人は、こう言った。
「この車は、今、浜松には、2台しかないよ。1台は、甥っ子にくれてやったけどね」と。

 そのときはじめて、先の知人と、その知人が、親戚関係にあることを知った。
しかし先の知人(甥っ子)は、そんなことは一言も言わなかった。
「叔父にもらった」とは、一言も言わなかった。

●葬儀

 こういう例は、多い。
たとえば友人だったA氏は、長年にわたり、義弟の生活費を負担してきた。
義弟の息子や娘たちの学費まで、負担してきた。
で、そのA氏が、数年前、他界した。
そのときのこと。
私はそういう話をA氏から聞いていたので、葬儀には、当然、そういう人たちが参列しているものとばかり思っていた。

 義弟とその息子や娘たち。

 が、だれも来ていなかった。
それを知り、ワイフは、こう言った。
「Aさんの世話になったのだから、葬儀には来るべき」と。

●ODA(政府開発援助)

 ODAというのが、ある。
政府開発援助。
ODAのオフィシャル・サイトには、つぎのようにある。
『Official Development Assistance(政府開発援助)の頭文字を取ったものです。
政府または政府の実施機関によって開発途上国または国際機関に供与されるもので、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による協力のことです』とある。

 協力先は、150か国以上に及ぶという。
日本は、ここ10年、毎年、10000x100万ドル=100億ドル=約8000億円の援助を繰り返している(同、サイト)。
実際には、これはODAを通してのみの額。
ほかにもそれぞれの機関が、有償、無償の援助を繰り返している。
前回、野田首相は東南アジアの何かの会議に出たとき、そのときだけで、2兆円の資金をばらまいてきている(2011年11月)。

 が、当の援助された国々は、それだけ日本に感謝しているかと言えば、それはない。
それもそのはず。
それぞれの国の為政者たちは、そうした援助は、「自分の手柄」として、そこで口を閉じてしまう。
ダムや道路、港を建設したとしても、「これは日本の援助によるものです」とは、絶対に言わない。

●現金の力の限界

 つまりここに、現金(マネー)のもつ力の限界がある。

 中古であるものの、スポーツカーをもらいながら、「もらった」とは言わない知人。
子どもの学資を出してもらいながら、「出してもらった」とは言わない友人の義弟。
そして日本の援助を受けながら、「日本のおかげ」とは、言わない、その国の為政者たち。
みな、自分のところで、恩の流れを止め、自分の手柄としてしまう。

 ウソではないが、あえて言うなら、「不作為によるウソ」。
ウソつきがつくウソと、どこもちがわない。

●思考力

 ……ということで、今は、思考力ゼロ。
読んで、ご覧のとおり。
意味のない文章がつづく。
「思考力ゼロのときは、こういう文章」という、つまりはその見本のような文章。
頭の中に飛来する情報を、そのまま文章にしているだけ。

 ところで先ほどまで、左上半身が、こわばっていた。
肩こりのような痛みを感じていた。
「狭心症?」と思ったが、原因は、マイクだった。
あのマイクを、肌にこすりつけたまま、計4時間もかかえていた。
それでそうなった。

 そう言えば、おとといの夜、こんなことがあった。

●狭心痛

 2年前の正月に、はげしい胸の痛みを覚えて、一時、呼吸ができなくなったことがある。
「狭心痛か」と、そのときは、そう思った。
医院へ行っても、「そのときでないと、狭心痛かどうか、わかりません」と。
つまり痛みがあるとき、医院へ来い、と。
が、痛みはそのときだけで、以来、この2年間、同じような痛みを感ずることはなかった。

 で、おとといの夜のこと。
夜、9時半ごろ仕事を終え、いつものように自転車にまたがった。
気温は、0度近くまでさがっていたと思う。
風は、肌が切れそうなほど、冷たかった。
そのとき、私はこう思った。

「今夜、確かめてみよう」と。

 つまり全速力で走ってみて、自分の心臓を確かめてみよう、と。

 で、いつもより足に力を入れ、まず鴨江町(地名)のなだら坂を上った。
全速力。
で、そこからは今度は、なだらかな下り坂。
ふだんなら、そのままノンブレーキで、一気に坂下まで下るが、昨夜はその下り坂でも、力を入れて、自転車をこいだ。

 あとは、いつもの道。
そこでも全速力。
容赦しなかった。
で、そのときこう思った。

「心筋梗塞が起こるかもしれない。起こるなら、起これ!」と。

 で、いつもなら40分ほどかかる距離だったが、25分ほどで家に着いた。
とたん、全身から汗が噴き出た。
と、同時に自分の脈をとった。
不整脈があれば、それでわかるはず。

 が、脈は正常だった。
速いが、正常だった。
はげしい運動をしたあと、よく、ドクドクと、瞬間的な不整脈を経験することがある。
が、それもなかった。

 居間でお茶を飲んでいるとき、ワイフにこう言った。
「心臓のほう、だいじょうぶみたい。今夜、それを自分で確かめてみた」と。

 死にたくはないが、最近は、よくこう思う。
「それが寿命なら、いつ死んでも構わない」と。

 自転車通勤にしても、そうだ。
自転車通勤をするようになって、もう40年になる。
それなりに自分の体を鍛えてきた。
それでも、心筋梗塞を起こすようなら、こんな体に、未練はない。
「とっとと、死ねばいい」と。

●視覚

 昨日、つぎのような原稿をBLOGに載せた。

まず、それを読んでみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【視覚とは何か】(はやし浩司、1999年ごろ記)改

●ぼんやりと見る

 ぼんやりとまわりの様子を見る。

 そのとき、無数のものが、ばくぜんと、目の中に飛びこんでくる。
 目の網膜でとらえられた映像は、一度視床下部(ししょうかぶ)を経由して、脳のうしろにある、大脳の後頭葉(こうとうよう)の視覚野(しかくや)に送られる。

 (網膜)→(視床下部、外側膝状体)→(大脳後頭葉、視覚野)

 しかしこの段階では、すべての情報がばくぜんと、脳の中のモニターに映されることになる。
カーテンも、机も、カメラも、印刷用紙も……。

 そこで私は、その映像の中から、必要な情報だけを選びださなければならない。

 たとえば私は、ここで、パソコンのモニターだけを見たいとする。しかもその中でも、文字だけを見たいとする。

 そこで視覚野に映った映像は、いろいろに加工される。これを脳科学の世界では、二次加工、三次加工と呼ぶらしい。

 (視覚野の映像)→(二次加工)→(三次加工)。

 そのあと、こうして加工された映像は、主に二つのルートを通って、大脳の各部に送られる。

 (加工された映像)→頭頂葉連合野(1)
          →側頭連合野(2)

(1)の頭頂葉連合野へ送られた映像は、空間的な処理がなされるという。
たとえば脳の中でも、この部分にダメージを受けると、自分の位置関係がわからなくなるという。

(2)の側頭連合野に送られた映像は、ものを認知するための処理がなされるという。
この部分が、ダメージを受けると、形がわからなくなるという。人の顔も区別できなくなることもあるという。

こうして目から入った情報は、瞬時のうちに脳の中をかけめぐり、処理され、判断される。

 私はこうしてぼんやりと、カーテンごしに、外を見ている。何でもない行為だが、その裏で、無数の情報処理がなされていることになる。

 こうした処理を直接頭の中で見ることはできないが、しかし想像することはできる。

 「あっ、今、後頭部に信号が送られたぞ」「二次加工されているぞ」「側頭連合野で判断されているぞ」と。

 もちろんこれは私の勝手な想像によるものだが、それが結構、楽しい。

【追記】

 私たちが「そこ」に見ているものは、実際に、そこにあるものを見ているのではない。
たとえて言うなら、大脳後頭葉の視覚野というのは、モニター画面のようなもの。
つまり私たちは脳の中に映し出された、総天然色(?)の映像を見ているだけということ。

 もっとわかりやすく言えば、テレビを見ているようなもの。
まさに光と影がおりなす、幻想の世界を見ているにすぎないということになる。

 そう考えていくと、少し、不思議な気分になる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この原稿について、K県に住む、KD氏という方より、こんなメールが届いた。
たいへん興味深い事実が書かれているので、そのまま紹介する。
この中で、「3歳以降に手術によって視力を得ても、お母さんの表情も理解することが
できないということもショックでした」という部分に注目してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【KDさんより、はやし浩司へ】

A硝子で液晶表示装置の視認性の研究開発をしたことがあります。
視覚に関する技術書を読んだり、医者と話したりして視覚の不思議さと
凄さに圧倒されました。
3歳以降に手術によって視力を得ても、お母さんの表情も理解することが
できないということもショックでした。

聴覚についても研究・開発をしました。
生まれたときから目の不自由な方は室内に入った時にその音響特性
から部屋の大きさ、天井の高さも分かるのです。

T伸行さんのお父さんは産婦人科で高校後輩にあたります。
伸行さんは生まれながら目が不自由でしたので、聴覚で外界の状況を
判断・理解することになりました。
母親いつ子さんの献身的な支援により健常者は聞き逃している音までピアノで表現できるという、まさに天才としての能力を育まれました。

ついにはクライバーンのコンテストで優勝するまでに才能を開花させたのです。
私はAVルームの開発の際、リビング空間の広さでホールのような音響を得る研究をしたことがあります。
イギリスのスタジオで使われている適度な吸音性と拡散反射性をもつパネルを装置した部屋に目の不自由な人に来てもらうと、凄く不安になるのだそうです。
部屋の大きさ、形状が分からないのでとても不安になるようなのです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●母親の顔

『3歳以降に手術によって視力を得ても、お母さんの表情も理解することが
できないということもショックでした』(KD氏)と。

 この話は、野性児のそれと共通している。

 0〜2歳前後の間、人間の手を離れ育てられると、以後、人間らしい感情や心を取り戻すことは、もうないという。
同じように、「3歳以後、手術によって視力を回復しても、母親の表情を理解することができない」と。

 ズシンと胸に響く事実である。
まさに『子育ては、本能ではなく、学習である』を、証明するような事実と言ってよい。

●就寝

 ワイフが寝支度を始めた。
そろそろ就寝タイプ。
エアコンがききすぎて、部屋の中は暑いほど。
「弱」にしてあるが、それでも暑い。

 先ほど窓を少し開けた。
……つまりこの温度調整が、むずかしい。

 では、今日の日記は、ここまで。
時刻は、午前1時。

●はやし浩司 2012−01−15

 ぐっすり眠り、午前6時半。
つづいて朝の入浴。
朝食。

 ところで私はこの1年、こうした日記を書くとき、「はやし浩司 2012−01−15」と書くようにしている。
あとで、自分の書いた文章を、日付で検索しやすくするためである。
こうすれば、「はやし浩司 201x−xx−xx」で検索すれば、その日に書いた自分の文章を探し出すことができる。

 ひとつのアイディアである。

●逆ギレ

 今朝のニュースで、一番驚いたのが、これ。

 赤信号を無視して歩いている男性を、別の男性が注意した。
それに注意された男性が、逆ギレ。
注意した男性を殴り、殺してしまったという事件。

 この種の事件は、ときどきあるが、今回の事件は、つぎの1点で特異性がある。
殴った男性は、そのとき自分の「10代の息子」(報道)と、いっしょだったこと。
MSN・Newsの見出しは、つぎのようになっている。

『赤信号注意され逆上…男性殴り死なせた男の「理不尽」 交錯する怒りと悲しみ』(MSN・NEWS)と。

 以下、MSN・Newsより

+++++++++++++以下、MSN・NEWS+++++++++++++++

東京都品川区の路上で昨年11月、赤信号で横断したことを注意された男が逆上し、注意した男性を殴って死亡させる事件があった。
傷害致死容疑で逮捕、起訴された男は警視庁の調べに「腹がたってやった」と供述。
その理不尽な行動に、関係者の間で怒りと悲しみが交錯している。(大島悠亮)

息子の前で逆上し…

 昨年11月12日午後7時35分ごろ、大手百貨店や飲食店などが立ち並ぶ東京都品川区のJR大井町駅中央口側の横断歩道。
区内に住む無職、小牧信一さん=当時(77)=は、対面から信号無視をして渡ってきた2人組の男らを見かけた。

 「赤信号ですよ」

 小牧さんがこう注意すると、男の1人が「うるせえんだよ」と逆上。
顔を殴られた小牧さんは路上に転倒して頭を強く打ち、意識不明の重体となった。
小牧さんはすぐに病院に搬送されたが、1カ月以上たった12月20日、帰らぬ人となった。

 捜査関係者によると、小牧さんを殴ったのは傷害致死容疑で逮捕され、今月13日に起訴された品川区東大井の会社役員、山根基久夫被告(48)。

そして、傍らにいたのは山根被告の10代の息子だった。
2人は事件後、駅構内を抜け、自宅のある東口方面から逃走。
山根被告は事件がニュースなどで報道されているのを見て、小牧さんが死亡したことも把握していたという。

 当初、捜査は難航したが捜査員の執念が実を結ぶ。
事件から数週間がたち、再度、現場周辺の防犯カメラを細かく解析したところ、事件当時、現場で目撃された男と似た人物を確認。山根被告が浮上した。

+++++++++++++以上、MSN・NEWS+++++++++++++++

●若い人たちの反応

 事件の異常性もさることながら、若い人たちの、この事件に対する反応に、私は驚いた。
2チャンネルをのぞいてみると、つぎのような意見が、ズラリと並んでいた。

全体の2分の1から、3分の1以上が、殴られて殺された小牧伸一さんを非難したり、反対に、殴った山根被告を擁護するもの。
(殴った男性を非難しているのではなく、殴られた男性を非難している!)

●2チャンネルより

 2チャンネルへの書き込みを、そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


★子供の前で恥じかかせた爺が悪いわ
まじでむかつく言い方したんだろうな
もしかして赤だと車こなくても待つタイプ?


★勇ましいなおい


★赤信号まじめに待ってる奴って馬鹿でしょw


★これは逆に爺がよっぽど酷かったんじゃないかとすら思ったり


★むしろ良い仕事しただろ 。
老人一匹殺すとか


★メリークリスマス
子供にカッコ良いところみせたかったんだろうな
正論だから腹が立ちともいうよな
忘れられないクリスマスだな
まぁ政府は見殺しにして風評被害にして
関係者は身も心もぬくぬくぶるっちょだし


★信号をいちいち守る歩行者は大体発達障害か何かなんだよな。


★赤信号を守るのは正しいことだが
それを守らない人を注意するのにはリスクが伴うことを教えた


★俺も原チャリ走行してたら、俺を怒鳴りつけながら追いかけてきた爺がいたが、その言い分が、「カーブで歩行者の領域に入ったのがけしからん」みたいな話だった。
俺が走行時、歩行者が居なかったからショートカットしたんだが、そこにいたわけでもない爺に罵倒されて頭に来たが殴りはしなかった。


★知らんやつに注意するのはバカとしか言いようがない
この爺はよく今まで生きてたわ


★団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ


★んなわけねえよ。
近所に住んでてあの状況をよくわかってるから言ってるだけ。
あそこはみんな信号無視するから注意するのがおかしいんだよ。


★俺は原付でいつものごとく車の前で止まってたら
いきなり停止線オーバーしてるだろ!って目の前横断してたおっちゃんが怒鳴ってきた
おっちゃん、あんた横断帯とから二メートルも離れたとこ横断してるんですが…


★団塊ってかバブル世代だったな
まあどっちにしても敵だけど


★見ず知らずの人間に文句を言うクソジジイと、見ず知らずの人間を殴って殺すオッサン、ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw


★信号無視ごときでいちいち注意する奴に限って巨悪には何も言えずダンマリなんだよなw 卑屈すぎるわ


★子供連れてるのに人に注意されるようなことをした父親の自業自得だろ
子供の前で尊厳大事にしたかったら人に注意されるような行動をしなければいい


★いちいち注意した老害もゴミ
殴り殺したDQNパパもゴミ
そんなDQNパパに育てられた息子もやっぱりゴミ


★大阪の場合はジジイが率先して信号無視


★だったら親だけを呼んでこっそりよくないですよって言えばいい。
わざわざ恥をかかせようとするような奴はこういう報いを受けるのは当然だわ


★ジジイも信号無視したことあんだろ?
ジジババは他人に厳しく自分に甘いからな


★これはやりすぎだけど、しつこい老人もいる。車のまったく通らない赤信号で歩行者が信号待ちをするのは愚鈍。


★俺も1回、歩道をチャリで漕ぐのが原則禁止になった月に
歩道を漕いでたら片足引きずってるジジイに大声でキレられて警官呼ばれるまでの騒ぎになったな
警官も、別にどうでもいいじゃんみたいな態度取ってたから今度はジジイが警官に絡んでてわろた


★他人を注意するのは常識知らずで自業自得だな


★77歳のじいさんの言うことなんてほっときゃいいのに
48歳にもなってこんなことで一生台無しにするなんて
ただのあほ、そんだけのことだろ
どっちがいいとか悪いとかどうでもいいし
殴ったほうも殴られたほうも人生終わりなんだよ


★俺の大学のフランス人の先生が、車が来ないのに赤信号で横断歩道を渡らず
待っているのは日本人とドイツ人だけだって笑いながら言ってたな。
信号が何のためにあるかを考えたら、渡らないほうが不合理だとな。


★爺も自業自得だよ。


★いい大人を注意するとかもう最悪ですね
本人は分かっててあえてやってるんですから
バカと言われたと同じです
これはもう殺してくれと言ってるのと同じでしょうね


★ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ


(以下、延々と、つづく……)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●意識

 最近の若い人たちの意識が、私たちの意識とズレていることは、私自身も強く感じていた。
が、ここまでズレているとは、思ってもいなかった。

 若い人たちは、「77歳」という数字だけを見て、「ジジイ」と位置づけている。
その上で、事件の内容を吟味することなく、短絡的に、老人批判を展開している。
「2チャンネル」という、無責任な掲示板での意見だから、本気にとらえる必要はないのかもしれない。
が、それ故に、かえって、現代の若い人たちの「本音」が、そこにあるとみてよい。

(もし注意したのが、30代、40代の男性だったら、どうだったのか?)

●段階の世代は「敵」

 この書き込みの中で、つぎの2つが、気になった。
「団塊」という言葉が、強く私の関心をひいた。

『団塊ってかバブル世代だったな。まあどっちにしても敵だけど』
『団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ』と。

 「v速」とは、何か。
それはさておき、ここで見られる若い人たちの意識は、180度、私たち団塊の世代のもっている意識とちがう。

 私たち団塊の世代には、それを意識しながら生きてきたわけではないが、「この日本の繁栄を築きあげたのは私たち」という自負心がある。
同時に、ぜいたく三昧に明け暮れる若い人たちを見かけると、ときどき、「だれのおかげで、そんなぜいたくができるのか、わかっているのか?」と言いたくなるときがある。

 が、若い人たちの意識は、私たちの意識とは、ちがう。
私たち団塊の世代をさして、「敵」と。
こうした意識をもっているのは、若い人たちの中でも一部と、私は信じたいが、どうやら一部ではなさそうだ。
すでにこうした傾向、つまり「世代間闘争」は、あの尾崎豊が、『♪卒業』を歌ったときから、始まっていた。

●親バカからジジバカへ

 総じてみると、団塊の世代には、親バカが多い。
「子どものため……」と、自分の人生を犠牲にした人は多い。

「子どもだけには、腹一杯、メシを食べさせてやりたい」
「ひもじい思いだけは、させたくない」
「学歴だけは、しっかりと身につけさせてやりたい」と。

 が、そんな思いや苦労など、今の若い人たちにしてみれば、どこ吹く風。
気がついてみたら、老後の資金を使い果たしていた……。
それが団塊の世代。

 が、親バカなら、まだ救われる。
が、それが日本全体に及んだとき、今度は、ジジバカとなる。
私たちは「つぎの世代」を考えながら、この日本はどうあるべきかを、思い悩む。
考える。
が、肝心のつぎの世代にしてみれば、ただの(ありがた迷惑)。

 が、私たちの世代には、それがわからない。
「そうではない」という幻想にしがみつきながら、生きている。
が、幻想は、幻想。
それがわからないから、ジジバカ。
私たち団塊の世代は、今、とんでもないジジバカを繰り返している(?)。

 それを如実に表現しているのが、つぎの言葉。
少なくとも私がもっている「常識」とは、180度、ちがう。
180度、ひっくり返っている。

『……ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ』と。

 その若者は、こう言っている。

 「カチンと来るような注意のされかたをしたら、イヤミや余計な一言を返し、相手も不愉快な気分にさせるのは、当然。
それが常識のある、社会人としての行動」と。

●ゴミ

 60代、70代の人たちよ、覚悟しようではないか。
現在の若い人たちには、私たち老人に対する畏敬の念など、微塵(みじん)もない。
そういう若い人たちに、私たちの未来を託しても、意味がない。
期待しても、意味がない。

 ……というのは書き過ぎ。
またそうであってはいけない。
それはよくわかっているが、それが私たちの未来を包む現実。
この先、この傾向は、ますます強くなる。
こんな記述も見られる。

『ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw』と。

 現に今、あくまでも風聞でしかないが、医療機関でも、「75歳以上は手術はしない」という考え方が定着しているという。
現実にそんな規定があるわけではない。
その年齢以上になると、「年齢(とし)ですから……」と、治療を拒否されるケースも多い。
事実、私の兄は、担当のドクターに、こう言われた。
「私は治る見込みのある患者は、治療しますが……」と。

 つまり治る見込みのない患者(=兄)は、治療しない、と。

●同情

 ただ若い人たちが、忘れていることが、ひとつ、ある。

 現在、「若い人たち」と呼ばれている人にしても、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
自分たちだけは、ジジ・ババにならないと信じているかもしれない。
が、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
そしてそのとき、そのジジ・ババを取り巻く環境は、今よりも過酷なものとなる。
2050年……つまり38年後には、約3人に1人が、そのジジ・ババになる。
(=1・2人の実労働者が、1人の老人を支える時代になる。)

 現在25歳であれば、25+38=63歳!
若い人たちよ、それがあなたの未来だぞ!

 そのとき、今、天に向かって吐いた唾(つば)が、自分の顔に落ちてくる。
が、私はけっして、現在の若い人たちのように、「ザマーミロ!」とは言わない。
「かわいそうに」と同情する。

●小牧伸一さん

 小牧伸一さん、あなたの死は、けっして無駄にしない。
こういう事例では、注意するほうも、不愉快。
できれば、事なかれ主義でもって、無視したい。
しかしそれがあまりにも目に余った。

「信号を守れ」というのは、相手のことを思って発した言葉。
自分のためではない。
信号を無視すれば、その相手が事故に遭う。
小牧伸一さんは、それを心配した。
だから相手を注意した。

 が、心配してもらったほうは、逆ギレ。
あなたを逆に殴った。
こんなバカなことが「常識」というのなら、そちらの常識のほうが狂っている。

 殴った男は、本物のバカ。
どうしようもない、つまり救いようがない、バカ。
徹底して法の裁きを受ければよい。

 が、残念ながら、今、こういうバカが、ふえている。
言うなれば、これはまさに、善と悪の闘い。
善が勝つか、悪が勝つか……。

●もうすぐ浜松

 先ほどJR掛川駅を出た。
あと10分足らずで、浜松に着く。

 ……今回の講演旅行は、これでおしまい。
来週は、M町での講演会がある。

 なお今回は、沼津のご用邸を見学することはできなかった。
来月、沼津で講演する機会があるので、またそのとき見学してみたい。

 では、また。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 金谷 韮山 はやし浩司の講演会 講演旅行 はまゆう会館 沼津ご用邸)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司




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